ある一般隊士の処遇
任務で怪我をした隊士を連れて不死川は藤の家紋の家を訪れた。
快く医者を呼び、不死川には風呂を勧め、血と泥で汚れていたので有難く温まってきたのだが。
「あれ? 不死川さんだ」
「おォ、時透か」
何やらしくじって足首をやられたらしい時透が同じ藤の家紋の家に訪れ、骨の折れている隊士のために医師を呼んだと家主から聞き、ついでに診てもらうことにしたらしい。それなら同じ部屋で待てば良いと口にして、家主に同室にしてもらうよう進言すると時透は嬉しそうに笑みを見せた。
兄共々不死川が蝶屋敷へと運んだせいか、前回よりも妙に懐いてくれているのは素直に嬉しいものだ。
「隊士の怪我ってどんな感じなの?」
「肋骨やっちまったみてェだなァ。それなりの立ち回りはしてたが」
「ふうん。隊士の質が悪いって話だったけど、不死川さんがそういうなら見所ある人なんだ」
話しながら襖を開けると目が覚めたらしい隊士がこちらへ目を向けていて、驚いたように不死川と時透へ小さく挨拶をした。
「起きたかァ。医者はそろそろ着くってよ」
「あ、ありがとうございます……」
生意気そうな顔はしているが、柱である不死川と時透にはきちんと弁えた態度を取るので、別に失礼な奴という様子でもない。上下関係を厳しく躾けられたか、元々の性格なのだろう。
「お前、筋は悪くねェけど視野が狭すぎて周りが見えてねェな。手柄上げたかったのかもしんねェけどよ」
「す、すみません」
不死川がいるにも関わらず、指示を聞かずに自分本位の立ち回りをしていた。一対一ならばそれでも問題ないかもしれないが、不死川がいたのだから上官の声くらいは聞くべきだ。まあ不死川も自ら突進していくことは良くあるが。
「不死川さんの助勢なんて冨岡さんくらいしか無理なんじゃない?」
「………、いや、まァあいつは置いといてだ」
確かに冨岡は訳がわからないほど上手く立ち回り、不死川が好きに動いても合わせてくる頭のおかしい奴である。前回も確かにあいつは合わせるのが上手かったが、カナヲのような特異な目を冨岡も持っているのではないのかとふと考えるくらいには、今回は更に上を行くのだ。そんな奴と比べているわけでは決してない。そもそも初めて顔を合わせた隊士にあんな奴の真似をしろとは不死川は言っていない。せめて状況把握をしっかりしてから対処をしろと言っているのだ。
「不死川さんがこの人の助勢に回れば上手く行ったんじゃないの」
「お前、俺に説教するつもりかァ!?」
「そんなつもりないよ、状況知らないし」
前回上弦の壱と闘った時、柱稽古も経ての連携は上手く行っていたのだ。稽古すれば冨岡でなくとも合わせることくらいできる。現に今回の宇髄は何度も共同任務があったおかげかすんなりと連携を組むことができたし、経験を積めば誰とでもそれなりの立ち回りはできるはずだ。
「状況把握をしろって話だよォ。徒党を組む鬼がいたら面倒なことになってたろうしなァ。まァ俺も雷の呼吸の隊士と共闘すんのは初めてだったが」
「雷かあ。そういえばしのぶさんから聞いたけど、那田蜘蛛山から療養してる隊士に雷の呼吸使いがいるらしいね。何か黄色い変な頭だっていう」
「黄色っ!?」
時透の言葉に声を荒げた隊士は、慌てて口を挟んだことに謝って黙り込んだ。はて、このような隊士の存在を不死川は知らなかったが、あの喧しい黄色頭と知り合いだったのか。叫ぶことしか脳がないのかと問いたくなるようなビビリ、我妻善逸の。
「知り合い? 名前なんて言ったっけな……冨岡さんの弟弟子の友達だよね」
「と、冨岡さんの、……水柱の友達……!?」
「違うよ、冨岡さんにそんな友達いないよ」
「どっちに対して失礼なのかわかんねェな……」
冨岡に対して失礼などと思うようなことは滅多とないが、あんな喧しい奴と友達だと勘違いされるのもそれはそれで不死川も嫌だ。あの怖がりは不死川も少々苛立ちの対象になる。まあやる時はやるということも一応前回を覚えているので知っているのだが。
「冨岡さんの弟弟子の友達ね。うるさくて女好きで」
「……いや、知り合いじゃないです」
「めちゃくちゃ知ってる感じだったろォ」
ぐう、と押し黙った隊士は少しの間逡巡した後、諦めたのか小さく弟弟子だと呟いた。
我妻善逸の兄弟子であるこの男は、あのビビリがまさか隊士になれていたとは思わなかったと本心らしきことを口にした。壱ノ型しか使えないのに闘えるわけがないとこき下ろしているが、この男のいう壱ノ型だけで最後まで生き残っていた前回を思うと中々の奴だとも思ってはいる。あのビビリさえなければ。
しかし、では前回こいつはどうしていたのだろう。深い話をするような間柄ではなかったが、我妻善逸の兄弟子の話など聞いた覚えがなかった。もしや無限城まで生きていなかったのだろうか。
「で、不死川さんはこの人に見所があると思ったんだよね」
「あ? あァ、まァ流石に雷の呼吸は速さが段違いだからなァ。技を極めた剣士ならもっと速そうだし」
「ふうん。音の呼吸とどっちが速いの?」
「あいつがアホみてェに速ェのは身のこなしだろ」
確か音の呼吸は雷から派生させたと言っていた気がするが、速度を求めたというより全くの別物という認識だ。その辺りは本人に聞かねばわからないが、音の技は爆破を伴うのでそちらに目が行きがちになる。
「自分の短所を見極めて補おうとする気があんなら、今より強くもなれるだろうよォ」
「………、そ、そうですか。ありがとうございます」
「ついでだし面倒見てあげたら良いんじゃない。不死川さん面倒見良いし」
「え、俺ェ? 宇髄のほうが良いんじゃねェの。あいつ雷の呼吸良く知ってるだろうし、何か俺怖がられてるしィ……」
「気にしてるんだ」
「うるせェ」
大体不死川は弟の落とし所を考えなければならず、他人のことにまで手が回らない。宇髄もしのぶの体術は継続して教えているらしいが、女房もいるのだから余裕もありそうだ。何ならしのぶの体術という実績があるのだから、不死川より面倒見は良いのではないだろうか。
「お前、名前何てェの」
「あ、い、稲玉獪岳です」
その名を聞いた瞬間、不死川はふいに思い出した。
前回最後の闘いで新たに補充された上弦の陸の報告。もう必要ないとはいえ、最後の柱合会議で無限城での全ての闘いの顛末を聞かされた。
宇髄たちが討伐した兄妹鬼の代わりに、別の鬼が上弦の陸になっていたと報告にはあった。名は——獪岳。
我妻善逸が単身討伐したという、鬼になったばかりの元隊士としか聞いていなかったが、そうか。
目の前のこいつが、その鬼になるのか。
「わかった。お前、手柄上げてェんなら面倒見てやるよォ。誰か教えを請いてェ奴がいんなら口添えしてやる。——とにかく、てめェはきっちり扱いてやるから覚悟しろォ」
「へっ!? は、はい!?」
「どういう心境の変化?」
「別にィ。筋は良さそうだから鍛えれば良い線行くだろうと思っただけだァ」
この男を鍛えたとして、鬼になる未来が避けられると決まったわけではない。
むしろ不死川が扱くことで前回よりも強くなって鬼となる可能性だってあるわけだが、その時は不死川自ら頸を斬ってやることを決めた。
不死川の適当に誤魔化した言葉に、獪岳の目が何とも不思議な色を灯した。顔を合わせたばかりの不死川への不信感、面倒にも思っていそうな表情の中に、どこか嬉しそうにも見えた気がする光が一瞬目に映った気がした。
*
その名を聞いた時、冨岡は前回最後の柱合会議の報告を思い出した。
話したことのない隊士の顔まで覚えていられるほど記憶力は良くないが、恐らく前回顔を合わせたことのない隊士だ。名前だけが冨岡の記憶にある。
獪岳。
それは鬼舞辻無惨との闘いの際、城にいた新たな上弦の陸の名前だったはずだ。まだ鬼ではないことなど見ればわかるが、何故不死川が彼を連れてくるのかがわからなかった。
知り合いだったのか。そんな素振りは前回なかった気がしたが。
訝しげにした冨岡を観察するような視線を向けられ、一先ず疑惑を置いておいて話を促した。
「こいつは筋は良いんだが経験不足か何なのか、まァとにかく未熟者だァ。ついでにいやァ呼吸法の会得が不完全だってんでなァ、任務の合間に扱いてやろうと思ってよ」
「お前がか?」
「文句あんのかよ。お前も妹扱いてんじゃねェか」
扱くために拾ったわけではないが。任務中見兼ねたから、見所があると思ったから鍛えることにしたと殊勝なことを口にした。
こんな奴だっただろうか。不死川は確かに面倒見は良いが、自分から目ぼしい相手を見繕って連れてくるなどといったことはしていなかったはずだ。気が合って話が進んだのかもしれないが、隊士の使う呼吸法は雷だというし、何とも接点が見え辛い。
「視野が狭ェし冷静さも足んねェ。お前の真似は癪だがこいつにとっちゃ学ぶこともあるだろ」
「そういうことなら悲鳴嶼さんに頼んだほうが……」
「……あー、まァ追々な」
何やら思うところも今後も考えているらしい不死川は、乱暴に頭を掻きながら曖昧に誤魔化していた。その間そわそわと落ち着かない様子の獪岳は、悲鳴嶼の名が出るとわかりやすく緊張していた。
頼めない何かがあるらしいが、冨岡には教える気はないようだ。それは構わないが。
不死川が鬼となる未来の隊士を連れてきたのは、冨岡にとって驚くことだった。
先日の任務で知り合ったというのだから顔を合わせたのもごく最近であることは間違いないのだろう。そこで何やら意気投合でもして面倒を見る話になり、獪岳も了承し今に至る。
鬼となる未来を止められるのならこれ以上ないことではあろう。隊士の実力向上のためと口にする不死川に弟のことは良いのかと問いかけてみたくなったが、それも野暮というものだ。
「雷の呼吸の隊士の技を知る機会にも良いだろォ。お前意味わからん立ち回りするし」
「意味わからんとは何だ」
「言葉どおり。技見てれば共同任務でも連携できるだろうしなァ」
自分の太刀筋を意味がわからないなどと言われるのは心外だが、前回と違って見えているものがあるのも確かである。それは上弦の弐との戦闘を経て初めて見たものだが。
まあそれは良い。確かに柱の呼吸法は知り尽くしていても、柱が使わない一般隊士たちの呼吸までは及んでいない。我妻善逸の技は鬼舞辻無惨との戦闘の際にしか見ることはなく、冨岡は前回を含めても雷の呼吸のことはあまり良く知らなかった。
それに、面倒を見ていればこの獪岳が鬼となる未来を回避できるかもしれない。誰かの継子にでもなれば更に。
彼がいつ鬼となり、人を喰ったかどうかまでは知る由もなく、ただ目の前の隊士は現時点で不死川に鍛えられることを望んでいるようだ。冨岡にどこまでできるかはわからないが、その未来が避けられれば最後の闘いでもまた何かが変わる。
彼もまた命を賭して鬼を斬る鬼狩りだ。少なくとも今は。
「……わかった。俺も雷の呼吸には興味がある」
「あ、ありがとうございます!」
鬼にならずにせめて人としての尊厳を保ったまま、一番良いのは隊士として生き残り無事に夜明けを見ることだが、彼が前回鬼になるまでどう歩んできたかを知らない冨岡には、どこまでできるか未知数であった。
だがそもそもがそんなことは全てわからないものだ。知っている自分がおかしいことは重々承知している。
今はただ、正しいと思う選択肢を選んでいくしかできないのだ。
「じゃ、胡蝶んとこと宇髄にも言ってくるわァ」
「随分大掛かりだな。余程期待してるのか」
「あァ、まァな。持ってかれたら困るんだよ」
「………。誰に」
「誰にってか、あの世? 死なれんのも寝覚め悪ィしなァ」
前回を知る冨岡にとっては、不死川の言葉の前には本当は鬼に、とつくのではないかと勘繰ってしまうが、推察の域から口に出すことはしなかった。獪岳の死を見ているのか、他の何かを知っていそうな不死川に聞いてみたい気はしたが、あの世という言葉に少々引き攣りはしたものの、どこか嬉しそうにも見える獪岳が頭を下げて挨拶をするのを眺め、良い方向へ向かうのならばと不死川に任せることにした。