柱就任 十六歳

 身についた呼吸法がすぐに息を整えたが、不死川は目の前にいる男をただ眺めていた。
 匡近と会わなければならない。会いたい。家族を救うことのできなかった不死川が次に考えたのは、前回不死川を拾ってくれた友のことだった。
 母を手にかけ人殺しと泣かれ逃げ出して立ち止まった先で、不死川の脳裏に走馬灯のように記憶が掛け巡った。
 母を殺し弟を捨て、獣のように鬼を狩っていた時期。人と出会い鬼狩りとなり、鬼の親玉を討ち果たすために闘っていた。心底嫌いだった奴がまだ闘っていたのに暢気に眠りに落ちていたこと。その後の数年、旅に出ては土産を渡し、生き残った奴らの様子を探り、同僚だった二人の男とそれなりの関係を築いたこと。今この瞬間が、一度経験したはずの状況だったこと。
 思い出してしばらくは身動きが取れなかった。すでに弟のそばを逃げ出していて、立ち止まって頭を抱えた。そうして思考を整理して、何とか体を動かした。
 母を殺すことが二度目ならば、この先自分はどうすべきか。何故母殺しを二度も味わわなければならなかったのか。力任せに怒りのまま近くの木を殴りつけ、不死川は育手を探すことを考えた。
 育手を紹介したあの男を見つけよう。己が救い損ねたあの男ともう一度、今度こそ救けるために動く。そのために不死川は鬼殺隊に入らず鬼を狩り続けた。
 粂野匡近と出会った時、本当に同じ人生をやり直させられていると理解した。もう一度会えるなど、どこか疑わしく考えていたせいか妙な顔になっていたらしく、匡近は笑いながら育手を紹介してくれた。
 紹介された育手に会った瞬間、呼吸法を会得していることを驚かれた。体が幼いせいかまだ上手く使えなかったが、修業すれば何とか使えるようになった。自分の望む力には程遠く、匡近を救うために前回よりも強くなる必要があった。
 不死川の見立てでは、匡近とは少し実力が離れていたと思う。前回よりも早く強くなっているだろうことを理解して、何としても匡近を生きて帰らせることを念頭に置いた。
 前回匡近が死んだのは十七の時。此度受けた任務がその時のものであることに鬼を見てから気づいた不死川は、何故今指令が来たのか疑問を感じたものの、すでに奇妙な経験をしているのだから前回と早まっていても不思議はないと一人納得することにした。そんなことより命を守り通すことが大事だった。こんな鬼如きに遅れを取るような腕前ならば、弟など守り切れはしないのだ。
「………」
 鬼が動きの鈍った匡近を襲おうとする瞬間を目の端に捉えた時、天井から影が落ち、意識をそちらに向けた鬼に向けて何よりも速く刀を振った。頸を斬って振り向いた時、見覚えのある羽織が不死川を見つめた。
「え、……は、柱?」
 隊服の金の釦は正しく柱だ。加えて半々の生地を繋ぎ合わせた片身替りの羽織。忘れるはずのない、忌々しかったはずの顔がそこにある。
「……大丈夫か」
 匡近の頭を止血するために手拭いを袂から取り出し、少年とも呼べる年頃の水柱は手早く処置を施した。礼を呟く匡近に促され、不死川も一応礼を告げる。匡近を死なさず生還させられたのは、まあ完全に偶然だったような気もするが、間違いなくこいつが鬼の意識を邪魔したからだろう。そう考えるものの、不死川としては少し納得がいかなかった。
 そもそも何故こいつがここにいるのか。確かに前回ここに来たのはまだ一年先のはずだったが、一体何故柱がここに救援に来たのか。
「義勇……南東ノ方角ニ……」
「………。……北東……わかった」
 水柱の頭にばさりと落ちてきた鎹鴉は、ぼんやりとした口調で呟いた。脚に括られている紙を外して覗き込み、鴉とは違う方角を呟いて去っていった。
「……え……?」
 奴の鎹鴉は確かに老齢であることを聞いたことがある。現在不死川の肉体年齢は十六、同い年であるはずの水柱も同じはずだ。この頃からぼけていたのかと少々呆けてしまった。
 前回と違うことが起きている。起こすつもりで、匡近を生かすつもりで行動していたことは間違いないが、予想外のことが起きて不死川は呆然としていた。
「いやあ、まさか水柱に会うとは思わなかった。本当に歳変わらないんだな」
「………」
 何とも反応し辛い。前回不死川は柱の噂など聞き流していたし、奴がいつから柱になっていたかなど知る由もなかった。今回自分は早々に常中を会得するために修業していたし、育手に会うまで鬼殺隊に入っていなかったのだから昇格が遅いことは理解している。それでも前回より一年早いのだ。早いはずだった。
 本当に、一体何なんだあいつは。あれでよく柱じゃないとか思えたものだ。相変わらず鬼殺隊に在籍している頃は愛想も何もない能面だった。少しくらいとっつきやすくなっていれば、と何となく思っていたのに。
 だがあの能面では、友だったという兄弟弟子をまた亡くしているのだろう。鬼殺隊にいるということは姉も亡くしている。感情を抑え込まなければ耐えられなかったと、弱かったと柔らかい笑みを浮かべて穏やかに話す姿を思い出した。そうか、今も弱いままのようだ。
 だがあの時ほど不死川に怒りは湧かない。弱いままの奴に対してそういうこともあるだろうと理解を示した。自分だって怒りばかりを全面に出し、周りに威嚇して回っていた時期がある。匡近に会ってそんなことは多少控えるようになったが。
 まあとりあえず、今後どうなるかは知らないが、それでも少しくらいは顔を見たら優しくしてやろうと、本当に何となく、気まぐれにそう考えた。今度こそ弟を守るのだと、そのついでに小指の先くらいは優しくしてやっても良いと、そう考えたのだ。

「は? 何? 子供拾った?」
 不死川が初めて柱合会議に参加した後、どうやら宇髄と冨岡は今回仲良くしているらしいことを知った。
 十二鬼月を討ち取ったとして不死川が柱に任命され、匡近は打ち所が悪かったらしく腕に力が入らなくなり、隊士を続けるには足手まといになると笑った。それを耀哉からも聞かされた不死川は悔しさで唇を噛み、冨岡が少し表情を歪めて俯いたのを目の端に捉えた。
 生きていて良かったと思っても、こうして満足に体を動かせなくなって悔しさが募る。もっと速く動けていたら、怪我をさせずに帰れたはずなのに。
 それはそうと柱合会議の後もう一度冨岡に改めて礼を告げると、手当をしただけだとにべもない答えが戻ってきた。その手当に礼を言うと、少し考えた後冨岡は小さく頷いた。どうやら今回の冨岡は少しばかり取り付く島があるらしい。
 そして歳が近いからと宇髄が不死川と冨岡を誘い、昼飯を食べに定食屋に入った時にそれは呟かれた。
「孤児らしい。任務の後に通った先で目が合った」
「ええ……」
 前回隊士だった頃は周りを見下すような気に入らない物言いばかりをし、何を考えているのかさっぱりわからなかった冨岡は、今は随分困り果てた顔をしてぼんやりと手元を眺めていた。全てが終わった後のような穏やかさが今回は垣間見える。まあ前回もあったのかもしれないが、不死川には見る気もなかった。
「困ってる」
「拾うからだろ。今屋敷にいんの?」
 宇髄の突っ込みは的確だ。そんな見知らぬ孤児など拾うから困るような事態に陥るのだ。前回そんなことあったのかと少々疑うが、何をするにも一人だったはずの冨岡が孤児を拾っていたとは思えなかった。今回はやはり何かが違う。
「ああ。隠に頼んで何とか世話をしてもらってる」
「なら大丈夫だろ、凄え暴れるとかなけりゃ」
「暴れない。大人しい。大人し過ぎる」
 曰く、隠が声をかけるまでじっと玄関の先を見つめ、冨岡が戻るのを子供は静かに佇んでいるのだそうだ。
 勿論ずっと子供が起きていられるわけではなく、大抵眠気に負けて玄関前で突っ伏して眠り、見つけた隠が布団に運ぶ。そして朝方戻る冨岡に気づくと静かに部屋の隅に座っているのだという。
「生き別れの兄弟説ない?」
「俺に妹はいない」
「おっ、光源氏計画ができちまう」
 気分を害したらしい冨岡がじろりと宇髄を睨めつける。冗談だと笑う宇髄を眺め、不死川はふうんと話を聞いていた。
「名前は?」
「……答えない」
 孤児ならば色々とあっただろうことも察せるが、それにしても冨岡と似たような静かすぎる子供のようだ。宇髄がふと思いついたように、食べ終えたら屋敷に行こうと提案し、当たり前のように不死川にも声をかけられた。
「何で俺まで」
「良いじゃん、まだ昼間だし時間あんだろ。次会うのは半年後だ、それまで生きてりゃの話だがな。少しくらい交流を深めようぜ」
 不死川の今回の目的は三割達成している。後は鬼を殲滅し、玄弥を無事守り切ることだ。目的の中に柱同士の交流などはない。
 ないが、まあそこはそれ。珍妙な経験を積んでいる不死川としては、最期まで友として関わってくれた二人には多少の親近感は抱いている。勿論そんなものは不死川だけが感じるもので、一度や二度顔を合わせただけの彼らからすれば、同僚以上の交流などないが。
 とはいえ宇髄はともかく冨岡は今回とっつきやすいのだ。少しくらいは優しくしてやろうと考えていたように、不死川も渋々ながら頷いた。