カナヲ十四歳、入隊

「は? 最終選別に行かせたのか?」
「勝手に行っていた」
 唖然としたのは宇髄だけではなく、話を聞いていた不死川もだった。
 栗花落は前回、竈門炭治郎や不死川の弟と同じ時期に選別を受けていたはずだ。十五、六の頃の話だったはずで、今回カナヲはまだ十四になったばかり。また前回よりも早い。
 藤襲山で行われる最終選別は七日間。生き残った者が鬼殺隊へと入隊する。育手の許可を得て選別に向かう者が大半だが、稀に前回の嘴平伊之助のように勝手に潜り込んでくる奴もいる。カナヲは冨岡の目を盗んで選別に向かったらしい。
 任務を終えて屋敷に戻ると、カナヲが戻らないと半泣きの隠に告げられたそうだ。鴉を飛ばして蝶屋敷の主人に聞いても、手伝いに来ないからどうかしたのかと文を飛ばしたのだと言った。狼狽していた隠が渡すのを忘れていたらしい。
 探しに行こうとしたところで耀哉の鴉から言伝を受け取り、最終選別にカナヲが参加している事実を知ったという。
「大丈夫かしら……カナヲちゃん」
 心配そうに頬に手を当てるカナエは、女子でありまだ十四歳という幼さを気にしているらしい。
 十四という歳は特別早いわけではない。しのぶは十三で最終選別に向かい心配だったとカナエは呟いているし、冨岡も選別を受けたのが十三歳だという。その頃宇髄はまだ里にいたが、不死川などは野生の鬼狩り化していた頃らしい。そう考えるとさほど問題ないように思えるが、宇髄にとっては二年早い。
 不死川に続きカナヲもか。宇髄を含めると、わかっているだけでも三人鬼殺隊への入隊時期や出世が早まっている。
 まあ、それは良い。良くないかもしれないがどう影響するかもわからない。今はカナヲが無事選別を生き延び、隊士となれるかどうかである。
 前回を知っている宇髄は二年早かろうと腕は問題ないと思っているが、一番見ていた冨岡はどう判断するか。
「……俺はカナヲにはまだ基礎訓練しかやらせてない」
 水の呼吸の型を教えていない。隠が言うには冨岡の鍛錬を静かに眺めていて、冨岡が任務に向かっている間に型を繰り出して練習していたのだという。見取り稽古でもさせているのかと思ったと言われたそうだ。
「えー……何か、もしかして凄ェ奴なのかァ」
「目が良いんだろう」
 カナエも驚いて絶句している。見ていることは知っていたが、教えた基礎以外のことを冨岡の前ではやらなかったので気づかなかったという。教わっていないことをやると怒られるとでも思ったのかもしれない。そのうち勝手に常中すら身につけそうな奴だ。
「選別については心配してないが」
「まあそんな話聞くとな。目で盗む奴は出世も早いぜ」
 凪などという間合いに入る全てを斬るような型を編み出した冨岡も大概目は良いほうだと思うが、その上をいくカナヲの目というのは興味深い。
 そういえば前回栗花落は決戦後片目を失明していたし、特殊な目であることは間違いなさそうだ。
「残り六日かァ。長ェな」
「大きな怪我がないと良いけど……」
「基礎とはいえ柱に扱かれてんだから、まあ俺も大丈夫だとは思うがな」
 出された湯呑みを口に運び、冨岡はぼんやりと庭へと目を向ける。約束していたわけではないが、蝶屋敷に向かう用事を作る時、こいつらがいれば自然と情報交換会のように客間を陣取って集まるようになっていた。生存確認も含まれている。
「でも、カナヲちゃん自分で決めて行ったのね。黙って行くのはちょっと駄目だけど、成長してるんだわ」
「黙りはこいつの影響かもなァ」

 任務終わりの朝日を浴びて宇髄は一つ息を吐く。今回も無事生き残り、血を流す隊士を隠に運ばせる。
 大した怪我は負わず、宇髄は帰るかと内心で呟いた。女房のいる宇髄宅へ向かおうとした途中で、最終選別が終わり無事帰ってきたと連絡を貰っていたことをふと思い出した。
 朝日を拝み、山を降り、玉鋼を選んで帰路につく。きっと皆疲れ果てたことだろう。カナヲももしかしたら冨岡から怒られたり、山から戻ってのんびりと眠ることができたかもしれない。文を寄越したのは昨日、今日なら休んで元気にしているだろう。そう考えて宇髄は冨岡の屋敷へと向かう方角を変えた。
「よお」
「……胡蝶は文だったが」
「ついでだよついで。カナヲの目も確認してえ」
 わざわざ来たのかと冨岡からの視線が訴えているが、宇髄は冨岡の機嫌などどうでも良い。実際に見てみなければわからないものを見に来たのだから当然である。
「お、最終選別お疲れさん」
 肩を震わせて目を丸くしたカナヲは、小さくお辞儀をしてから窺うような目を向けた。
「見様見真似で型を会得したって聞いたぜ。こりゃ冨岡より強くなるかもな。あー、良い良い、黙ってろ」
「………」
 心外そうに顔を歪め、冨岡は宇髄の静止の言葉に黙り込んだ。冨岡の自己評価などすでに聞いて知っている身として、いちいち返答するのが面倒だったからだ。
「型を見てたのか?」
「ああ」
 どうして良いかわからないらしいカナヲは木刀を持ったまま庭に立ち尽くしている。何やら考え込んでいる冨岡へ目を向け、俺も見たいと一言口にした。
「冨岡に見せたんだろ? 俺にも見せてくれよ」
 冨岡の見様見真似ならば妙な癖もつかないだろうが、見た通りに技を出せるかは本人次第だ。どれほどのものかを拝みたい。
 冨岡が宇髄に見せるよう促すと頭を下げて木刀を構え、壱ノ型から順にカナヲは技を繰り出していく。弐、参、肆。淀みない水が現れては消える。隊士の中には使う呼吸の効果が見えない者もいるらしいが、カナヲは色濃く水が見えていた。拾まで終わるとカナヲは息を吐き、木刀を構えた腕を下ろして宇髄たちへ向き直った。拾壱は見取ることができなかったか見ていないのか、それとも何か考えて披露するのをやめたか。何でも良いが。
「悪くねえな。むしろ強くなるだろ、ここまで剣筋が良いと鍛え甲斐がある」
 思うところがあるらしい冨岡の考えと同じかはわからないが、宇髄にも思い当たることはある。だが水の呼吸をここまで使えるならば即戦力で申し分ない。任務においての判断力は少々不安が残るが、それも経験を積めば覚えていくだろう。それまでは死なないよう言い含めればカナヲは従うだろうし。
「視力が良いのか?」
「はい」
 蝶屋敷で手伝いをしている合間に検診を受けたことがあるらしく、数値上は人より少し視力が良いというだけのものだったそうだ。
「ふうん。体質か? 何が見えてんだ」
「……動きが見えます」
 冨岡の顔色を窺うように視線を向けた後、カナヲは宇髄の質問に答えた。
 曰く、人の関節や体の動きを見て次にどう動くかを見ているらしい。手を伸ばしたその次、何をしようとしているのか注視すれば見えるのだという。宇髄は呆れたような表情を晒してしまった。何という特異な目をしているのか。それを見たいのは隊士全員だというのに。
「とんでもねえな」
「………」
 これが前回栗花落がしのぶの継子になった理由か。女は男に比べて非力な者が多く、命を落とすことも更に多い。攻撃を避けられる目はそれだけで生きる可能性を上げる。階級が高かったという理由が良くわかった。

*

 刀鍛冶の里からの訪問者を招き入れると、挨拶もそこそこに鍛冶師は打たれた刀を見せた。
 カナヲのために打たれた日輪刀。使用者の適正に刀身を染める色変わりの刀と呼ばれる。勧められるままカナヲは刀に手を伸ばし、鞘から抜いて刀身を眺めた。
 じわりと滲み手から移り変わるように色が変わる。予想していた通り、その刀身は青ではなく桃色へと変わった。
「あれっ? 水柱様の継子だというからてっきり目の覚めるような青になるかと」
「継子じゃない」
「えっ?」
 疑問符を幾つも浮かべた鍛冶師は首を傾げなからも、色が変わったのなら鬼狩りとしての適正はあると呟いた。
 桃色。やはりカナヲに適した呼吸は花の呼吸か。わかってはいたが回り道をさせた気分になってしまう。基礎鍛錬に違いはないが、冨岡の技を見様見真似で身につけることができたのならば、やはり無理を言ってでも蝶屋敷に置いてカナエの稽古を見せておけば良かった。冨岡の知り合いに花の呼吸の使い手はカナエしかおらず、呼吸が合わず派生させたしのぶでは花の呼吸の師としては頼めない。
 どこか意気消沈したようにも思えた鍛冶師を見送り、刀を眺めるカナヲへ目を向けた後文机へと向き直った。
 カナエならば育手の紹介をしてくれるだろうか。教え込まずともカナヲならば見取り稽古で事足りる。体に適していない水の呼吸よりも力が出せるはずだ。
「鬼狩リトシテノ最初ノ任務!」
 筆を置いた時羽音が聞こえ鳴き声とともに声が屋敷内に響く。現れた訪問者はカナヲの鎹鴉だった。鬼殺隊士の仕事が今から始まる。
 着替えを済ませたカナヲを見やり、少しばかり安堵する。一度手元に送られてきた隊服に思わず驚いて冨岡は蝶屋敷へ相談に行った。隊服を見たしのぶに怒り狂って燃やされ、二度目に寄越されたカナヲの隊服はあまり肌の出ないものに変わっていた。カナエも最初に渡されたという鬼殺隊縫製係からの洗礼なのだそうだが、女性隊士は皆布面積の少ない隊服を支給されるらしい。十四の子供に何てものを渡すのかと冨岡ですら呆れたものだが。
 カナヲが何を思って最終選別に向かったのか、冨岡は思い当たるようになっていた。
 回り道をさせてしまった呼吸のことは失敗だったと思いはしても、今更どうすることもできない。
 上弦の弐との戦闘後のカナヲの様子、復帰後の任務から戻った時の様子を思い出し、冨岡はもうカナヲを栗花落カナヲとして考えることをやめた。
 今回に限り、カナヲは冨岡の家族である。
「鬼殺隊に所属した時点で、俺たちの仕事は鬼を狩ることだ。人に仇なす鬼は頸を斬れ。怪我をした隊士を見つけたら安全を確保して手当をしてやれ。それから」
 カナヲと二人でいても口数が多くなることはないが、任務に向かう者に言い含めるべきことは言わなければならない。何よりも優先すべきことを伝えるために、冨岡は言葉を続けた。
「死なずに帰ってこい」
「はい」
 板張りの床に手をついて頭を下げ、カナヲは鴉の誘導についていった。
 見送る側になるなどとは思っていなかった。いや、カナヲは隊士になってもらわなければならないとは思っていたが、二年も早くなるとは。前回よりも違いが多くあることは理解していたが、それでも少しの不安はある。
 炭治郎たちとの面識もその後の感情の変化も、冨岡は見てきたわけではない。栗花落がどんな思いを抱いて成長してきたかはわからないが、全てが終わった後に笑い合う姿を、今回でも見たいと思っている。
「義勇」
 開け放していた窓から鎹鴉が顔を出す。脚に括られた指令を確認し、冨岡もまた任務へと赴いた。