兄弟の想い
「おい、死ぬなよ! 今連れてってやるから」
「にいさ、兄さんを助けて、」
「てめェもだよ!」
朝日に崩れる断末魔に不死川は速度を上げた。
先の任務に手間取り、鴉からの次の指令に向かうのが遅くなった。無事でいろと内心で考えながら任務地についた不死川が見たのは、斧を手にした前回最年少で柱となったはずの時透無一郎と、彼に良く似た顔をした子供だった。
時透の家だったのかと冷静な部分で考えるも、片方は腕を切り落とされており今にも意識を飛び立たせてしまいそうなほど反応が小さかった。今更にも思えそうな傷口の止血をして、隠が来るのを待っていられず背中へと乗せる。まだ少し反応を返す片方を俵のように担ぎ、不死川はその場を後にした。
ここから近い藤の家紋の家はどこだったか。今にも事切れそうな様子に蝶屋敷でなければ助からないかもしれないと考える。だが蝶屋敷はここから遠く、そこまで持つかどうかがわからなかった。
「弟を……助けてください……」
背中から聞こえる消え入りそうな声が、ただ兄弟を案じて縋るように不死川に絡みついた。
「兄さん、兄さんを助けて。嫌だ、死んじゃ嫌だ」
噛み切りそうなほど唇を食いしばり、不死川は更に速度を上げて山を下りていく。
間に合わせる。藤の家紋の家に呼ばれる医者を信用していないわけではないが、それでも蝶屋敷の主人ほどの信頼はない。この傷では助からないと判断されるかもしれない。それならば多少の無理をしてでも確実に治療をしてくれる蝶屋敷へと向かったほうが良い。
そう判断して不死川は、己の限界まで速度を上げて夜明けの街を駆けた。
呼吸を整えられないまま蝶屋敷の戸を乱暴に開くと、時間帯故かすぐに住人たちは顔を出した。
息を荒げて話せない不死川の背中と肩にいる重傷者を見てすぐその辺にいた隠に声をかけ、担架で運んでいく。ばたばたと走り回る足音と叫ぶ声が聞こえ、上がり框を乗り越えられず不死川はその場で倒れ込んだ。玄関先に倒れ込むのが不死川であることに気づいた隠や隊士は驚愕しながらも怪我の具合を心配し、呼吸を整えながら手を払い大した怪我はないことを示した。単に限界速度で走り過ぎて息ができないだけだ。疲れたのもある。
「血を流し過ぎていて、助かるかどうかは気力次第」
「……そうかよ。俺が間に合わなかった」
切られた腕の出血は酷く、息があったのが奇跡のようだとカナエは言った。後はあの子供が生きる気力を持ち続けてくれるかどうか。
弟であろう子供の声で呼びかければ留まってくれるかもしれないが、向こうも命に別状はないとはいえ傷は深く、今は魘されながら眠っているという。せめて同室で様子を見ているが、もしもの時のことを考えておいてほしいと口にした。
「不死川くんの……弟さんなの?」
「いや。知らねェ一般人だァ」
今はだが。どうやら限界まで速度を求めて駆けてきた不死川の様子に知り合いか何かだと思っていたらしい。赤の他人だと口にするとカナエは少し笑った。
そうして二人を蝶屋敷に預けた翌日の朝、不死川は任務終わりにまた足を向けた。
「不死川くん!」
奥からカナエが飛び出してきて、腕を掴んで不死川を無理やり引っ張った。走るんじゃねェよ、とカナエの体を気にしつつ、何事かと考えたまま部屋へと入るよう促された。
「! ……無事だったかァ」
「……あの時のお兄さん」
片方が目を開けていることに気づいて声をかけると、思いの外しっかりとした言葉が不死川へと向けられた。昨日起こったことも覚えているらしく、助けてくれてありがとうと小さく呟いた。
「この子のお兄さんなんだけど、峠は超えたの。もう大丈夫よ、後は良く療養して元気になるだけ。ただ……片腕は」
「……すまねェ。俺が遅かったせいで兄ちゃんを」
先の任務に手間取りさえしなければ、もっと早くあの場に着いていたはずだ。
うまくいかない。前回死んでしまう奴らをできる限り助けてやりたくて足掻いても、不死川が手を差し出した奴らは皆必ず後遺症が残る。カナエだってそうだ。冨岡が助けたはずのカナエは五体満足ではあるが、肺をやられて呼吸を使えなくなった。
「良いんだ。僕は兄さんが生きてるだけで嬉しいから。本当に、それだけで良いんだ。ありがとうお兄さん」
たった一つ、兄弟二人が生きていることを望んだだけの小さな願いだ。
助けられなかった命はいくつもある。前回同様散っていった命を掬い上げることができなかった者たちは山ほどいる。命があるだけ余程良いのかもしれないが、不死川は匡近の悔しげな唸り声を扉越しに聞いたことがあった。
まだ足りない。力が足りない。どれほど足掻いても最善にはならない未来を、どうにかして手繰り寄せなければならないのに。
「僕、剣士になる。兄さんを守れるくらい強くなって、鬼を斬らなきゃ」
「兄貴は納得したのかよォ」
小さく笑みを向けた時透に、不死川は納得していないと推測した。
そりゃそうだ。何が悲しくて自分の命より大事な弟を死地へと見送らなければならないのか。不死川なら目を潰してでも止めるほど大問題である。時透の記憶が消えないまま隊士になるのは良いかもしれないが、兄を納得させるには大変だろう。
不死川は女や年下の連中が隊士になるのはどうしても容認し辛かった。
勿論必要な人材であることはわかっている。身をもって知っている不死川からすれば、前回通りや前回より早い鬼殺隊への入隊など喜ばしいことである。それでもやはり脳が拒否してしまうのだ。
時透は天才だ。刀を握って二ヶ月で柱まで上り詰めるような稀有な存在だった。それでもまだ子供なのだ。本人が決めたことに部外者である不死川は口を挟めないが、それでももう少しくらいは子供のままでいてほしいと勝手な望みを持ってしまっていた。
「させるから大丈夫。ちゃんと話してわかってもらうよ。兄さんが僕を守ってくれたように、今度は僕が守らなきゃ」
弟妹は無条件に守られるもの、不死川は自分が身を呈して弟妹を守るものと考えている。それは前回を経験した後でも変わりはない。守る手段をどう変えるかは考えているが、鬼殺隊に関わることを容認はしても、前線で闘うことを許したわけではなかった。今も許すつもりはない。
そう頑なに考えていても、時透の兄を守りたいという純粋な思いが、不死川の胸の奥に深く響いていた。