柱就任 十五歳、十七歳
「今度の水柱は十五歳らしいぜ」
ふいに耳に入ってきた噂話に宇髄は顔を上げた。
どうやら高齢であることを理由に引退を囁かれていた当代水柱の後継が決まったらしい。継子ではなかったが実力は充分。自分よりも強くなるだろうと水柱のお墨付きもあるという。それはそれは、大層なことだ。
「あいつだろ、確か冨岡。癸だった時から凄かったもん」
ほうほう、それはそれは。噂になるほど随分な活躍をして就任したらしい。しかし、と宇髄は木の上で聞き耳を立てながら腕を組んだ。
十五で柱になるとはまたお早いことで。あいつそんなに早かったのか。そういえば奴は確か十三で入隊したと懐かしむように言っていたことを思い出し、悔いから休む間も惜しんで鬼を狩っていたのだろうと思い至る。そう、奴はそういう奴だ。知ったのは全て終わってからだが。
宇髄は前回、里抜けしてから育手と出会ったのが十七の頃だった。鬼殺隊に入隊したのが十八、その後一年で柱となったが当時すでに冨岡は柱だった。それでも充分早いと思ったのだが、今回宇髄は前回よりも早く里を抜け育手の元へと向かい、こうして十七で階級は甲まで上がっている。恐らくそろそろ柱を拝命するのだろうと確信しているが。
まあ、前回と同じなら仕方ない。誰より先に柱になって後からやってくる奴らをひっそり微笑ましく眺めようと思ったのだが、そうもいかなかった。無事柱になってくれて何よりというべきだろう。鬼殺隊の身分で微笑ましくなどやっていられないわけではあるが、それでも宇髄は色々と人とは違う状況にいるのだ。
一度死んだはずの宇髄天元として、己はまた生きている。
最初は勿論混乱した。気づいた時にはすでに女房が三人いて、生きている兄弟は弟一人。どうにかして和解しようとしても弟は聞く耳を持たなかった。時間をかけて駄目だった前回を踏まえ、今回も宇髄は見限るしかできなかった。
すでに弟妹を手にかけていて、宇髄の安息など里にはなかったのだ。
本当は一度くらい腹を割って話をしてみたかったが、里に染まった者を正気に戻すなど至難の業だ。女房と弟を秤にかけた時、宇髄の中で切り捨てることを決定させた。
そう、宇髄は宇髄天元という者の人生を二度経験しようとしている。
何故こんなことに。それはわからないが、とにかく宇髄は抜け忍となり鬼殺隊へと籍を置くことを優先させた。結局のところ自分は兄弟を救うことなどできないと、二度目も叩きつけられたような気分だった。
きっと何度やり直しても弟と和解することはできない。せめて殺し合いが始まる前に戻っていれば結果は違ったかもしれないが、それも後の祭りだ。
女房と会い里を抜け鬼殺隊に入り、ならばこの先出会うはずの仲間をどうにか救うことができれば、無力感に苛まれるようなことも減るかもしれない。そんな自己満足を心に秘め、それはそれとして鬼を狩る。自分が早く入隊することで救える命が増えるのならそれで良いと考えたのだ。
しかし、今回もあの葬式面を拝むことになるのだろう。奴の人となりも知ってしまっているため、多少は仲裁に入ってやっても良い。そう思う程度には老い先短い奴との時間で絆されていたし、宇髄自身嫌いではなかった。
まあ、自分がお節介を焼くのはその場にいる時だけだろうが。
水柱交代の噂を聞いてからひと月あまり、宇髄は産屋敷邸へと呼ばれることとなった。
わざわざ二回目でなくとも、もっと違う人間に生まれ変わっても良かったのでは、と思わないでもないが、そもそもこれは生まれ変わりとは違うのだろう。鬼のいなくなった世界を生きた宇髄に、もう一度鬼を滅ぼせというのかと思い出した当時は気が狂いそうだったが、少し考え方を変えた。
救けられなかった者を救けることができるかもしれない。宇髄が歯痒いまま待ち続けた最後の闘いに参加できる可能性だってある。勿論代わりに自分が死ぬ可能性もあるだろう。前回より早めて鬼殺隊へと身を置いた宇髄にどんなことが起こるかわからない。それでも望みは持ってしまうのだ。
せめて出会った者たちが、あの世界を見られるように。
宇髄一人の力がどれほど影響があるのかはたまたないのか、宇髄が人を救うことでどこかの誰かが代わりに死ぬのか。そんなこともわからない。やってみるしかないのだ。
幸い頭を整理して里を抜け、修業を経て最終選別へと向かう頃から、宇髄は呼吸の常中を早く会得するために日々過ごしていた。おかげで甲に上がるのも早かった。
最終決戦を生き残った誰かが同じように二回目を生きていても、きっとそうしただろうと思っている。
産屋敷邸で謁見した当主は、まだ若く呪いも進行していない。目も見えていて穏やかな顔が良く見えた。
予想通り、此度柱に就任してほしいという話だった。宇髄としては願ったり叶ったりだ。そのために色々と早送りで修業を積んできているのだから。
「ありがとう。これからもよろしくね」
快く諾の返事をすれば、耀哉は嬉しそうに笑みを深めた。ひと月後に柱合会議があり、そこで皆に挨拶をする。悲鳴嶼と冨岡、そして煉獄槇寿郎がいるはずの会議だ。前回拝命を賜った時もそうだった。今回は二年ほど早いが、変わらない顔があるだろうことを期待している。
そうして任務をこなしながらひと月が経った。
この間聞こえてきたのは医療に明るい姉妹の隊士がいるだとか野生の鬼狩りが入隊しただとか、よくわからないこともあったが一先ず誰か予想を立てていた。姉妹についてはまず間違いなく胡蝶姉妹だ。結局今回も奴らは鬼殺隊に入ったらしい。それはそれで思うところがあるのだが、今回も悲鳴嶼の目を盗んで選別に向かったのだろうか。
そして野生の鬼狩り。誰だか知らないが派手な噂だ。そいつは驚くほどの速さで昇格しているらしいし、おおよその見当はついている。
今の階級がどこなのかは知らないが、この調子でいけば柱になるのも時間の問題だろう。早いのではないかと思う。宇髄の推測が間違いなければ、あいつは前回十七の時に柱になっていた。冨岡の任命がもし前回よりも早いのならば、何故こうも時間が違うのか。
何かあるのか、不死川に。宇髄にはわからなかった。
柱合会議で見覚えのある顔を複数見つけた宇髄は、新たな柱として紹介された冨岡とともに同僚となる彼らの前に顔を見せた。
たった十七歳の音柱、水柱に至ってはまだ十五歳。そのことに悲鳴嶼と、煉獄槇寿郎のような年上の柱たちは難色を示した。ちらりと隣へ視線を向けると、宇髄が知るよりも幼い姿で、相変わらず乏しい表情で冨岡は佇んでいた。
まあ、十七といえば前回不死川が柱になった歳だし、胡蝶カナエも同じ歳だった。最年少すら数年後には塗り替えられるのだが、この時点で十五歳の柱は異例だったのだろう。気にした様子もない冨岡から視線を戻し、宇髄は煉獄たちへと向き直る。
「俺は柱の先輩方と共同で任務に当たったことがねえし、言われるのも仕方ねえと思ってますけど。信用してもらえるよう努めるだけだ」
「きみたちの実力を疑っているわけではないが……うちの息子とそう歳が変わらん」
親目線で心配になるのだろう。それはそうだ、宇髄が十七ならば煉獄家の長男はまだ十四。下の弟に至っては七つかそこらだろう。親を経験した宇髄には理解できる。
子供といって差し支えない年齢の少年が、自分たちと同じ危険な仕事、更には同じ立場の柱なのだ。一般隊士とは違う、担当区域も広く休む間もない任務量。それでもそんな子供に頼らなければならないのが口惜しいのだろう。
十五であろうと頼れる隊士はいる。正確には現れる、だが、それを言ってもきっと理想論だと跳ね返されそうだ。
煉獄たちは長く柱を務めている。その分死んでいく隊士たちを多く見ているだろう。その中に宇髄や冨岡と同じ年頃の者もいたはずだ。鬼殺隊は長く在籍していられるような生半な組織ではない。
引き際を見極め、誰かに救助を頼む。その判断こそが大事だ。経験の浅い者ではそれもできずに死んでいく。宇髄だって見てきたのだ。
「拝命しちゃったもんは返上しませんけどね。誰かがやらなきゃなんねえなら、できる奴がやるのは当然。そこに年齢は関係ないかと」
「それはそうだが。……随分達観してるな」
「俺は現実主義なんです。守るべき命の価値基準もある」
それはそれとして救けたい命はあるが、今でもその優先順位は変わらない。
「冨岡くんはこれで良いのか。きみもまだ若いんだぞ」
「……長く務められた先代のようにはいきませんが。役に立てるよう努めるだけです」
前回最後まで生き残ったことを踏まえると随分謙虚な言葉だ。まあこいつならばそう思うのだろうと理解できるし、わざわざ口にしたことに少なからず驚いた。こいつ拝命した当時は話したのかよ。まあさすがに先達だらけの場で黙りを決め込むのは難しいか。
「癸の頃から凄かったらしいなお前。若輩者同士仲良くしようぜ」
「……仲良く……」
心が揺れたらしい冨岡は宇髄の言葉を反芻した。能面の奥で色々仲良くしたがっていたというのは前回見送るまでの短い期間で聞いていた。だからわざわざ宇髄から話を振ってやったのだ。別に仲良しごっこなどせずとも強ければそれで構わないのだが、こいつらと過ごす緩やかな時間の中で、宇髄も友が欲しかったことに気がついたのだ。仲良くできるならそれに越したことはない。年若いせいか前回よりもとっつきやすい気がするし。
「何だ、やっぱりまだ子供だな」
「鬼殺隊にいては遊ぶ暇もないだろうが……息抜きは大事だ」
「強いのは強いんでしょうが、やはり年相応の顔を見ると安心しますね」
年上ばかりの柱の中で、宇髄は冨岡の首に腕をまわして笑みを向けた。あの葬式のような顔がほんの少しだけ柔らかくなったように見えて、何かこいつに救いとなることがあったのかもしれないと考える。
宇髄は弟妹を救わなかった。見限ってここにいるが、冨岡は表情を和らげられるようなことが起きていたのかもしれない。
「よし、じゃあ手始めに飯食いに行こうぜ。何が食いたいんだよ」
「………。……鮭大根」
前回と変わらない好物を聞き、微笑ましげに眺めてくる柱たちの中で宇髄は思わず吹き出した。年相応の驚いたような目が宇髄を捉え、あれ、と少し違和感を持った。
「笑うほど妙な料理でもなかろう」
「あー、まあ。昔の知り合いと同じ料理が好きってんで笑っちまった。悪いな」
つい笑ってしまったが、宇髄は鮭大根に対して笑ったわけではない。二度目の冨岡も同じものを好きだというのが何だか妙に親近感を覚え、嬉しくなって笑ったのだ。心外だ、確実に前回絆されたせいである。
「今度炎柱の息子さんにも会いたいですね」
「ああ、二人で来ると良い。喜ぶだろう」
槇寿郎がこうして顔を出していた時、息子の杏寿郎はまだ入隊していなかった。酒浸りになる未来が待っていることに気づき、宇髄は少し笑みを引っ込めた。